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ずんだもちのすみのほう

まんなかのほうは、あなたへ。

幸福について考える <世界でいちばん非常識な幸福論>

こんばんは、もうお金が無くって死にそうなズンダです。
自炊の鬼になるはずだったのに、マクドナルドのてりたまが好きで、もう2回も食べているズンダです。案外高いよね!

 

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 でも大好きだから食べちゃう!

でも幸せだから良いんです、って感じでごまかしごまかし生きているんだけど、
きっといつかマジでお金がなくなるんだと思います。

そういったときは、同居人に全力で甘えようって思っています!!

 

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宜しくお願いします。

 

 

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最近幸せについて考えたこと。

 

最近、幸福って、相手からもらうものではなくて、自分で勝手に感じるものなんだな、と学びました。

 とあるブロガーさんのところで紹介されていた動画です。
よかったらどうぞ。


Happiness is all in your mind: Gen Kelsang Nyema at TEDxGreenville 2014

話してる内容を簡単に書くとこんな感じ

今日は皆さん良い一日をすごしていますか?
それはなぜですか?

(中略)

それはなぜですか?この質問に、例えば、私たちが良い1日を過ごした理由が、外的状況にあるのなら、私たちが求めている、常に幸せな状況を得ることはできません。そうですよね?

私たちは、他人や環境を毎日コントロールすることはできません。幸せが外的状況によっていたら、それは自分以外のもので決まることになります。

 つまり、幸せを自分で作り出して、感じれるようになることが、大切だよということなんですね。

彼が優しかったから幸せだとか、大金貰ったから幸せではなくて、そういったものが無くても、幸せって感じれるんだよってことです。

 

それで幸福を科学的に、脳の働き的に解明すれば、お金が無くても幸せに生きれるんじゃないかと思いました。大丈夫です、皆さん、私は幸福を科学しません。年に一度スーパースペクタルな映画を作ったりしません。ただ、本を読んで、自分が幸せになれればいいなって思ってるだけです。

 

幸せってなんだろう

 上記の動画を見て、まぁ、自分で外的要因に縛られずに幸せを感じれるようになろうと思うわけじゃないですか。でも私の望む幸せが良くわかんないんですよね。
お金が沢山あって、お金の心配がなくなるとするじゃないですか、それってイコール幸せ、って繋がらないですよね、不安が取り除かれただけで。

 

幸福論の本でも読むか

さて、私の幸せとは。。。なんて考えているうちに、私の一生は終わってしまいそうだから、他の人はどんな感じなんだろう、って感じで、今日の本。

世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論

世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論

 

世界幸福度調査で1位を取得したフィジー共和国へ移住した著者が、日本ではありえない、非常識にあたるようなフィジーの人々の暮らしをヒントに、幸福とはなにか、幸福をどういった時に感じているかといった幸福論を書いた一冊。

 

感想

フィジーの人めちゃくちゃ適当。
あれ、でもこのフワフワな感じ、もしや私ってフィジー系の人間なのかな?

 

フィジーの人めっちゃ適当。

フィジーの人ってめちゃくちゃ適当なんですね。パスポート発行したいって言ったらパスポートの在庫が無いから発行できないって役所に言われたり、靴屋で店員に「この靴のこのサイズある?」って聞いたのに「在庫探してくる」って言ってそのまま帰ってしまったり。日本だったらありえないんだけど、フィジーではそれが当たり前らしい。で、クレーム出てきて大変ジャン、と思うところだけど、フィジーの人はお客さんも適当だからそんなに問題にならない。
なにそれ、って感じなんだけども。

 

あと、諦める力半端ない。

諦める力ってのは、この本で出てきているような力かな。

zundamochi-sumikko.hatenablog.com

自分の過去記事だからわかりにくいかも知れないけど、気になったらここで紹介されている本を是非読んでもらいたい。

フィジーの人達って言うのは、もうなんか、諦める力半端ない上に、「今を生きる」感覚がすさましいので、食べたいものを食べて糖尿病になって死ぬのも致しかたないらしい。(フィジーでは人口10万人あたりの糖尿病による死亡者数は、世界2位とか!)彼らいわく「健康になるために生きているのではない」ので、食べたいものを食べ、体を壊して死ぬことになったら「それは神様が決めたタイミングなので仕方なし」という考えらしい。

なにそれ、めっちゃ楽しそう。
私は、健康によさそうなもの(例えばゴマとか)を調べて、夕飯にゴマを使った料理を食べたりして、「今日も体に良いことをした!」って思うことが幸せにも繋がってるから、毎日マクドナルド食べたりはしないんだけど、でも、こういった思考回路、とても楽しそうですね。

 

ケレケレとかいう謎習慣

フィジーにはモノとか、お金さえ共有とかいう謎概念があるよう。

ある日の夕方、干していたTシャツを取りこもうと物干し場に行くと私のTシャツがありません。
行方を探して夕食の匂いのするキッチンに入った瞬間、ホストマザーの息子が私のTシャツを勝手に着て歩いている姿が目に飛び込んできました。「それ、僕のTシャツだよね」。
即座に突っ込むと、息子は満面の笑顔で返してきました。
「そうやねん。ピッタリやろ(ニコッ)」。
ホームスティの身。私は心を整え、冷静に尋ねます。
いやいや・・・・・。ピッタリかどうかじゃなくて、何で僕のTシャツを勝手に着てるの?」「なんでって・・・・・・。もしかしてアカンかったん?」

コレが私のケレケレ体験でした。

こんな感じで、「おれのものは、みんなのもの、おまえのものも、みんなのもの」、という謎概念があり、バーで隣の人のビールを勝手に貰って自分のグラスに注いだり、お隣さんが死んで困っているからと、机の上においてあった財布からホストマザーが勝手に著者のお金を抜いたり(コレは気をつけないと盗みになったりするらしい)、あと、強盗がおばあちゃんを脅してお金を盗んでも、そのお金の中からおばあちゃん分を返したり。因みに、強盗もこんな感じで盗みに入るので、フィジーの警官は適当にも関わらず、犯人が捕まるらしいっていう、もう本当に謎習慣があるんですね、概念というか。

なのでお金の心配もしなくていいし、子供自体もみんなのモノって感じで、皆で面倒見たりと、なんか一人で頑張らなくてもいいみたいなんです。日本だったら、面倒見てもらったら菓子折りをもっていって挨拶したり、「今度はうちで見ますね」なんて言ったり、「親しき間にも、礼儀あり」がついて回るんだけど、フィジーの人々は、そもそも、いろいろ面倒みあっているので、そういったことも全く意識していない雰囲気なんです。

まじか・・・・!!!

日本って礼儀とかにうるさくなりすぎて、田舎とかつながりがあるほうが逆に生き辛そうな感じあって、それを捨ててきた感じが、今のコンクリートジャングル東京っぽいと思っているけども、つまり田舎でも都会でも、そういったつながりがあっても無くても、行き辛くなってきていると思うけど、フィジーはそんな感じでは無いんだね。

なんでこんなに生きることが難しくなってしまったのだろうねぇ。
気楽に生きているフィジー人、羨ましい。

 

と、こんな感じで、日本から見たら全く非常識かもしれないけど、幸せに生きていける人達を紹介されている本でした。面白いので興味があったら是非。
この本を読んでて謎だったのは、なんかフィジー人の言葉が全て関西弁なんですね。
著者のセンスなんだと思うんだけど、もうずっとなぜ・・・??って。ずっとなぜ・・・?!?!って思っていました。

 

まとめ

 冒頭に書いたように、人に頼って生きていこうと思いました。

 

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一人で立てるので、自立は文字通りできているしね

あと、私って、日本人じゃないんじゃないか、と思うくらい適当なんだけど、この本を読んで、みんな本当は無理してるんじゃないかなって思いました。
自分が我慢しているから、相手にも求めてしまうのかな?

もっと、ゆったり出来る世界になったらいいね。

 

まずは私から始めます。

 

だから私ってダメだナァ、なんて思って自分の幸せを感じるタイミングを減らすのはやめよう。
すぐには出来ないだろうけど、少しずつ。 

 

今日も沢山文字書いた。(3491文字)
あと、小見出しってやつのやり方を始めてみた。
まとまりやすいからいいかなぁ?

 

読んでくれて有難う。

 

 

 

 

 

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