ずんだもちのすみのほう

まんなかのほうは、あなたへ。

オレ様化する子どもたち  「個性」を煽られる子どもたち

こんばんは。

まずは、私の体の一部からの声を聞いてください。

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神経を抜くのってへこむよね!

実はこの絵は先日買ったLAMYの万年筆で書いています。

(そのときの記事はここだよ~)

ニブはEF、インクの色は万年筆にもともと付いているブルーです。

色むらが素敵ですよね。

さて、先日、友達の入籍祝いをしてきました。

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昔話に花が咲き、楽しかったです。

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今思うと、けっこうマイペースな学生生活でした。

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あと、石鹸を新しくしました。

基本的には、牛乳石鹸を使っています。体も顔もこれひとつです。

カウブランド石鹸 赤箱100g*6個カウブランド石鹸 赤箱100g*6個

(2002/08/05)

カウブランド

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しかし、たまに飽きるので、変えたくなります。

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先日行ったciboneで(その時の記事はここだよ~Aesopが安くなっていたのでGETしてきました。

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いい香りです。

さて、今日の本です。

よくも悪くも元教師が書いた本という印象です。

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)

(2005/03)

諏訪 哲二

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第一章は読む価値がありますが、第二章は無い。

内容は

教育は「のびのび育てる」と「厳しく育てる」、どちらが正しいのではなく、実は両方必要である。

それと同様に、教育には社会化と個性化、両方を生徒に教えることが必要だが、

現在は市民社会を元に個性を大切にしようという流れである。

小学校に入ってくる前に、生徒達は既に消費社会的な等価交換の論理をもっている。

著者は、まず生徒達を社会化すべきだと考えるが、生徒達は既に市民社会(人と人は平等という倫理社会)に住んでおり、

社会化をさせるという教育行為が成立しにくくなった。

というようなもの。

この考えに異論は無いんだけど、その説明が色々付け足しててまどろっこしい。

例えば、著者は戦後の生徒の子供を三つのスパンに分けているのだけども

  • 「農業社会的」な子供(1945年~1960年)
  • 「産業社会的」な子供(1960年~1975年)
  • 「消費社会的」な子供(1976年~現在※2005年かな?)
これを見ると、今40才位の人までが、消費社会の人に分類されますね。

そのキャラクターの違いはこのように分かれるという。

掃除の時に教師が机を運ぼうとする。

「農業社会的」な子供→「先生、わたしが運びます」と自分で運ぼうとする

「産業社会的」な子供→教師と運ぶか、教師がやっているんだから私もやらなくちゃっと思う。

「消費社会的」な子供→手伝がらない、極端な子は見ているだけ

個人的に、この例え話は好きではないし、どうかと思う。

それは私が「消費社会的」な子供からかもしれませんが。

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つまりはよくおじさんがよく言ってるやつっぽい印象

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こう思ってしまうのは私が「消費社会的」な子供だからなのでしょうね。

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※個人的にはコミュニケーション能力重視と同じくらい、よくわからない基準

ただ、著者のような考えを持っている大人ももちろんいると思うので、

そのような考えに本1冊というボリュームで触れられた事は良かったと思います。

これをもし口頭で長々と聞いていたら、全然集中して聞けて無かった。

この本で引っ掛かったというか、わかるようでわからない話がありました。

市民社会(「等価交換」の行き交う空間)に住んでいる生徒達は、教育にもその感覚を持ち込んでしまう。

教師から注意を5のレベルでされたら、その生徒は5の納得が得られるような「等価交換」が欲しいと考える。

授業中に私語を注意された生徒は「しぇべってねぇよ、オカマ」と教師にたてついたり、「横向いて喋っていたって授業はちゃんと聞いているよ。これぐらい喋ったって授業の邪魔にはならねえだろうよ。」などと言う。

ここに教育関係は成り立っていない、すなわち、教育において、交換関係では教育は成り立たないと著者は考える。

どうかなぁ・・・。

私の経験の話になりますが、私語を注意されたら、反抗するのもめんどくさいのでこんなケンカ腰にはならないと思うのですが。

「しぇべッてねぇよ、オカマ」といわれるってことは、

この先生凄くなめられてるか、嫌われているかじゃない・・・?

このケースは等価交換云々じゃなくない・・・?

(※他の例えでは、納得できるのもありました。)

そうやって強がったり、言い訳するのはもっと違う因果関係のような気がしました。

ということで以下の本を読んだら凄く良かった。

「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット)「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット)

(2004/09/07)

土井 隆義

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ブックレットでかなり薄い本ですが(70ページ程しかない)

大変素晴らしいもので、子供達の友情関係を鋭い視点で読み解いています。

こんなに、学生の頃の、自分の物の考え方を巧妙に捕らえているなんて凄いな・・・・

と本当にびっくりしました。

しかも2004年発行と、こちらのほうが発行が早いことにも驚きました。

この本では著者は、教師の注意に反抗する子供の考え方として、

物事に対する評価の基準は、自分の外部にあるのではなく、自分の内部にあるのでは無いかと考えています。

「行為はそれ自身では正しいとも間違っていない。ただ、行為のもたらした結果が、また行為が引き出したあるいは表出した『いい感じ』が行為の良し悪しを決める」

なので、廊下を走ってはいけない、と注意された生徒は

「いけない理由はなぜですか?こんなに広くて気持ちのよい場所なのに。」と答るという。

このように、良し悪しの基準が<良いこと>から<いい感じ>と自分の内部に持ち込まれてしまう。

最近の子供達は、個性的な存在たることに究極の価値を置くような社会的圧力の下で、

自己の潜在的な可能性や適正を見出そうとしている 。

その結果、「個性的でること(心の内部を重視すること)」は、

彼らのあいだではもはや社会規範の1つと化としているのではないか、という考え。

こちらのほうが、私にはマッチしました。

また、この本では「友達関係の重さ」についても書かれている。

この本に書かれている少女の言葉が良かったので引用します。

「言いたいことがあっても、どういったらいいかわからないし、わかっているのは、個人的な奥の奥まで触れられたら、あっというまに逃げてしまって、それまでの親友関係、全部壊れてしまうってことだけなんです。私たち、だいたいそうですけどね。私もだめかもしれない。『わあ、元気してる?』で、わあっとみんなで遊びに行って、彼氏の話とかして盛り上がって、『また会おうね』でおわり。それやらなければ、みんな逃げていっちゃうんですよ。」

学生の時はどうしても狭い世界で生きていたので、こういう「やさしい友達関係の重さ」は感じました。

しかし社会人になれば、嫌だったら適当に断わるということが出来るようになります。

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(そうすると寂しくなったりします。)

著者の土井隆義さんの他の本も見つけたので、よんでみました。

重複している内容もあったが内容的には本当に満足。

こちらも63ページと大変読みやすいボリュームです。

良かったら読んでみてください。

キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像 (岩波ブックレット)キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像 (岩波ブックレット)

(2009/06/05)

土井 隆義

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子供達よ・・・・!

親達よ・・・・!

大変かと思いますが、色々諦めないで・・・・!

良い本を読んでください。

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